「ルーツと変化が折り重なる温泉街のシェアオフィス」
シェアオフィス西友/天川村

奈良県天川村にある洞川(どろがわ)温泉街。

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この地は日が沈むと、情緒あふれる山の中の温泉街へと姿を変える。訪れた人々は浴衣を着て、うちわをあおぎ、ゲタをカランコロンと響かせる。そんな温泉街を歩くと不思議な光景が見えてくる。旅館の窓と玄関が開け放たれているのだ。

この風景を紐解いていくと、1300年前にまで遡ってしまった。どうやら洞川温泉街は、ただの“観光地”じゃない。

洞川温泉街は、最寄駅の近鉄下市口(しもいちぐち)駅からバスで70分。奈良市や大阪市からは車で110分。
けっしてアクセスに恵まれてはいないけれど、619人が暮らす洞川温泉地区へ年間44,000人が宿泊する。ちなみに村全体の人口は1,428人、そこへ年間60万人が訪れる。

ここに、シェアオフィス西友(にしとも)が誕生した。

今回は洞川温泉街のルーツをたどりつつ、その中心に位置するシェアオフィス西友が持つ可能性に迫る。

人が集う、山の中の温泉街

車に乗って、下市町から吉野の山中へ向かう。木々に囲まれた道を進むと、天川村の入り口に当たる川合地区が見えてきた。ここからもう10分進むと、とつじょ温泉街が現れる。車を降りると、山上川のせせらぎが聴こえてくる。

弓なりの街道沿いに、22軒の旅館と20軒ほどの飲食店が軒を連ねる。ここが、洞川温泉街。ほぼ中心地に、シェアオフィス西友はある。

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ここはかつて、西友旅館という一軒の宿だった。天川村が借り上げて改修し、シェアオフィス西友へと生まれ変わった。この日案内してくれたのは、天川村役場の担当職員である芳田亮(よしだ りょう)さん。

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初めに、1階の“チャレンジレストラン”を紹介してもらう。

「飲食店を開業したいけれど、十分な資金力がない。自分の店を始める前にお客さんの声を聞きたい。そうした人が自分の腕を試しつつ、経験を重ねていける場所です」

なるほど。1年で30%、3年で70%が廃業する飲食業界にあって、開業前に試せる機会はたしかに貴重だ。けれども、ここは山の中の温泉街。お客さんは訪れるのだろうか?

おそるおそる芳田さんにたずねると、明るい声が返ってきた。

「訪れますよ。洞川温泉街には、もともと観光客の往来がありますから。2017年の夏には、土日限定で一食1,500円のランチを提供したところ、たちまち完売したんです。11月には、一夜限りのスナックも賑わいを見せましたね」

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この場所は、飲食業のチャレンジにうってつけなのかもしれない。2018年6月には新たな展開が生まれた。天川村の地域おこし協力隊員がチャレンジレストランとして使用をはじめたのだ。

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1階が飲食店、2階がシェアオフィスという建物の設計について、芳田さんはこう続ける。

「飲食スペースがあることで、観光客も住民も訪れやすい。人が集うことで、困りごとも聞こえるかもしれない。ゆくゆくは、2階のシェアオフィスの入居者さんとも仕事が生まれたらと思うんです」

続けて階段を上がると、20畳ほどの和室。かつては客間として使われていたらしい。

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オープン時にシェアオフィスへ導入した設備は、あえての必要最小限。机、椅子、什器、複合機のみに留めた。

「拡張性を持たせたんです。入居者と話し合い、共につくりあげていきたいから」

洞川温泉街が人を惹きつける“何か”

では、シェアオフィス西友には、どんな拡がりがあるのだろう。

続けて話を聞いたのは、芳田さんと二人三脚で運営に臨む安大諒(あんだい まこと)さん

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安大さんは、大阪出身。WEBデザインの制作会社を経て、天川村の地域おこし協力隊に。シェアオフィス西友の運営に臨む。

「実家から洞川温泉街までは、車で100分。僕には、ちょうどよかったんです。というのも、いつでも行き来できる距離にありながら、ググって(=インターネット検索をして )見つけられない情報に日々出会えますから」

安大さんは、学生時代から「場所にしばられない働き方」をしたかったという。拠点が大阪から洞川温泉街へと移り、変化はあったのか。

「気持ちを切り替えやすくなりました。以前、大阪のオフィス街にいた時は昼休憩に出ても、ビル続きの風景でしたから。今はミーティングが煮詰まると、ちょっと山を歩いてアイデアが弾むこともあります。あとは… 音に敏感になったように感じます。『鳥が鳴いてるな』『川の音が聴こえる』… きっと大阪でも感じていたけれど、ここで初めて意識したんです」

ここで安大さんは「洞川温泉街って“観光地”の一言では表現しきれないんです」と話す。どういうことだろう。

「洞川温泉街のルーツは、1300年前に遡るんですよ。修験道(しゅげんどう)を知っていますか?山伏(やまぶし)と呼ばれる人たちが、山での厳しい修行を通して、悟りを目指す信仰です。ここは、修行を終えた山伏が疲れを癒す宿場町として始まったんです」

修験道にまつわる話自体が新鮮ではあったけれども、この日最も驚いたのは、次の話だった。

「山伏は今もいます。ここでコーヒーを淹れていると、山伏の集団が前の通りを歩く姿が見えますよ」

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洞川温泉街を歩くと、行者と旅館がいかにこのまちをつくってきたかが、うかがい知れる。

たとえば、旅館の縁側が広めに取られていること。これは、修行を終えた山伏が縁側に座り、靴を脱いでから部屋に入った名残。現在は、この空間で宿泊客がお酒を飲む姿が見える。

また夜の洞川温泉街を歩くと、旅館や商店が玄関を開放している風景に気づく。

修行を終えた山伏が、いつでも帰ってこられるようになっている。この計らいは、観光客にとってもうれしいもの。また、山伏の気持ちを想像することで、この地への興味も深まっていく。

時代の変化とともに山伏は減少していく中、洞川温泉街は観光地としての存在感を高めていった。現在の洞川温泉街には、修行と観光のハイブリッドともいえる風景が広がる。1300年前に始まった山伏と旅館の関係は、今も脈々と受け継がれていた。ルーツを大事にしつつ、この地で生きていくために、変化し続ける。洞川温泉街の人々こそが、この地に人を惹きつける“何か”ではないか。

住民と入居者により近いシェアオフィスを目指して

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洞川温泉街の持つ場の力は、そこを訪れる人にも影響を及ぼす。

シェアオフィス西友を運営する安大さんは、山伏と旅館の関係について、こう話す。

「山伏の皆さんは、ふだんは会社勤めや自営業をされています。年に数回、大峯山にこもって修行するんですね。その際、毎年同じ旅館に泊まる方も珍しくありません。ともすれば何十年もの長いお付き合いは、サービスという一言では割り切れません」

両者の関係に触れたことは、シェアオフィス西友の運営方針にも影響した。シェアオフィスの入居者、そして洞川温泉街に限らず、天川村の住民に近い距離感で関わりたいと話す。

最後に安大さんは、その兆しが見えつつあることを話してくれた。

「あるご近所さんは、会うたびに『天川村をもっとよくしたい』と話します。その方と家族ぐるみで親しくなるうち『西友で、こんなことできない?』と声をかけてくれるようになったんです」

「村をよくしたい人は、もっといると思う。これから出会っていきたいし、シェアオフィスの入居者さんとも一緒に考えていけたらうれしいです」

まずは、研修・合宿でお試しを

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安大さんが話す通り、“村をよくしたい人”はまだまだいると思う。

僕は今回の取材以前に、天川村へ延べ8日間ほど通うことがあった。林業従事者を育成する「天川森林塾」へ参加したのだ。その場を通じた一番の収穫は、人との出会いだった。

“切り捨て間伐材”を活用して、地域経済の循環に取り組む人。大阪での看護業を経て、まちづくりを視野に入れつつ、より住民に寄り添う“コミュニティナース”として活動する人。ジビエを活用した起業を試みる人、家業である旅館を営みながら、村を盛り上げたい人。

人口わずか1,428人の村には、魅力的な人が大勢いた。

これから天川村を訪れるみなさんにも、ぜひ出会ってほしい。まずは一度、企業研修や合宿で訪れてみませんか。ゆっくり温泉につかり、山伏と観光客が共に過ごす洞川温泉街を歩く。この地が遂げてきた変化を体感することで、たくさんの気づきがあるかもしれません。

[文] 大越元(おおこし はじめ)

ユニバーサルライター。自分を営む人の仕事紹介「Kii」編集長。奈良市に誕生した10代向けコワーキングスペース「Toi」共同運営人。地元は東京中野区です。日本仕事百貨にて、全国200件の求人に携わったのち、紀伊半島へ。書きっぱなしにならない編集を日々模索しています。http://kii3.com

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