「泊まれるシェアオフィスで出会った、
顔の見える経済を育む人々」
ゲストハウス三奇楼/吉野町

奈良県吉野町にあるゲストハウス三奇楼(さんきろう)が、「泊まれるシェアオフィス」を始めるという。

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三奇楼は、最寄駅の大和上市(やまとかみいち)駅から徒歩10分。近鉄電車の大阪難波駅からは80分。電車で迎える立地にありながら、目の前には吉野川が流れ、夏の河原はバーベキュー客でにぎわう。アウトドアを楽しむことだって、もちろんできる。
この90分という移動時間をどう考えたらよいのだろう?ちなみに首都圏と関西圏における、平均通勤時間は片道約55分。そして40%以上の人が、60分以上をかけるという。

つまり、日頃の通勤からもう一歩足を伸ばした“小旅行”といったところ。毎日通うには大変かもしれないけれど、たまに職場環境を変えるにはちょうど良さそう。

では、あらためて三奇楼の魅力とはなんだろう。
蔵を改修したバー付きのオフィスも、ラフティングやハイキングを楽しめる豊かな自然環境もさることながら、一番は“人”だと思う。

現地を訪ねると、顔の見える経済を育む人々に出会った。今回はゲストハウスとしての三奇楼を紐解きつつ、泊まれるシェアオフィスの可能性に迫る。

ゲストハウス“三奇楼”がまちに生んだ変化

80分という乗車時間は、スマホをチェックして、一息つくにはちょうどいい。目線をスマホから車窓へと上げると、見える色が緑一色に。さっきまでは、どこまでも続きそうなビル群だったのに。

やがて電車が大和上市駅へ到着。そこから10分ほど歩くと、どこか懐かしくも、品格あるアーチ門が見えてくる。ここが三奇楼。

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2015年10月に誕生した三奇楼は、ゲストハウスにとどまらず、上市地区に様々な変化を生んできた。

人口約7200人の吉野町にあって、2017年度は900名近くが宿泊。うち数名が移住に至った。「移住したいけれど、仕事をどうしよう」と考えていた人が、滞在期間中に地域住民との関係を築き、勤め先を見つけたケースもある。また朝市、蔵バーをはじめとするイベントは、地域住民が訪れるきっかけを生んだ。三奇楼の特徴の一つに、地域住民の口コミによる宿泊者が一定数いる。

変化の渦の中心には、運営に臨むひたむきな二人組の存在がある。オーナーの南達人(みなみ たつひと)さんと管理人の渡會奈央(わたらい なお)さんだ。

いつでも人を迎えられる“家の離れ”をつくる

一時期空き家となっていた三奇楼が、ゲストハウスへと生まれ変わったきっかけは、2014年の台風にある。三奇楼の雨どいが外れたのだ。上市で工務店を営む南さんは、知人を経由して改修依頼を受けた。

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修繕のため、建物の内部へ足を踏み入れた南さん。水回りのダメージが大きかった。蛇口をひねると赤錆びた水が流れる。トイレのレバーを引いても、うんともすんともいわない。改修のやりとりをする中で、大家さんから「いい人がいたら譲りたい」という声を聞いた。

当時の南さんは、生まれ育った上市に空き家が目立ち、人口が減る中、工務店には何ができるのか?と考えていた。水回りの改修が必要となるため、1,000万円単位でかかることは見えていたけれど。南さんは購入を決意。「譲っていただけませんか」と大家さん宛てに手紙を書いた。

その時、用途は未定だったという。

「この建物をなんとかしたかった。何もしなければ、いつか取り壊されて駐車場になるかもしれない。それはいややったんです。」

ここで注目したいのは、活用方法を仲間たちと話し合ったこと。有志からなる「上市まちづくりの会リターンズ」のメンバー数名からこんな声が上がってきた。

「上市に縁のある子らが、気軽に里帰りできる場所をつくりたい。なんなら同級生で集まって気兼ねなく寝泊まりできて『上市っていいなぁ』と思い出せる場所をつくりたい」

「実家だと、お互いに気をつかってしまう。いつでも誰でも泊まることができる“自分の家の離れ”があったらいいな」

やがて関わる人が増えていった。町からの助成も得て、ゲストハウス三奇楼をつくるプロジェクトがはじまった。改修にあたっては、南さん自ら現場に立った。

三奇楼の歴史は、まちの歴史そのものだった

三奇楼の改修に取り組みはじめると、上市地区の歴史が浮かんできた。ここ上市は、吉野林業における木材集積地を担ってきた。トラックが普及する以前、山から切り出した木材は、なんと筏(いかだ)で運び出されていたという。命がけの運搬を終えた筏師たちは、上市に数件建ち並ぶ料理旅館で、パーッと遊んだという。三奇楼も、数ある料理旅館の一つだった。

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4階建ての純和風建築は、建設当時、周りをにぎわせたという。1939年まで料亭旅館として営まれた後、建て替えを経て住居へ転用された。

ところで南さんは、雨どいの修理以前から三奇楼が気になっていたという。

「僕の家は、三奇楼から見て、吉野川の向こう岸にあります。山を背にしている分、日照時間が短いんです。我が家は暗いのに、三奇楼は明るい。子供心に憧れていたんです」

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修理にあたって、2階の窓から景色を眺めると、吉野川を眼下に、川向こうには製材所や吉野高校が見渡せた。「その風景にほれてしまったんですね」と、話す。

いただいた場所を、最大限に活用する

三奇楼はオープン以来、様々なイベントや企画を行ってきた。それらを振り返ると、駆け足で進んできた雰囲気が伝わってくる。けれども、南さん一人が活動してきたわけではない。むしろ、色々な人の手が常に関わっている。

2016年には、近畿大学の建築専攻ゼミと共同で吉野材を使ったデッキを製作した。

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この空間が、というのも、星空映画祭、ビアガーデンと様々なイベント会場になる。そうして、三奇楼の可能性を一段と広げることに。その一つである「星の鑑賞会」は、大阪在住の常連客が企画したもの。始まりは「デッキから、星見ていいですか?」の一言だった。

三奇楼を見ていると、中心には南さんがいつつ、周りに関わる人がたくさんいることがうかがえる。

最後に南さんが大切にしていることを聞くと、少し恥ずかしそうにこう答えた。

「吉野町をよくしようなんて、大それたことは考えていません。ただ、目に見える風景がどんどん変わっていく中で、顔と人となりの見える人たちを大事にしていきたいだけです」

「三奇楼はいただいた場所。だから、精一杯使わせてもらうんです」

何かの拍子で出会った目の前の人と、関わる。次第に関わる人を増やしていく三奇楼は、少しずつ「顔と人となりの見える人」の輪を広げつつある。

懐かしくて、あたらしい空間

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三奇楼のゲストブックを見ていると、繰り返し“家”というキーワードが上がる。一部を引用すると「めっちゃいいお家でした」「帰るのがさみしいな」「行ってきます」。

そうした言葉が表すように、三奇楼ははじめて訪れても、懐かしさと新鮮さを感じるつくりになっている。どうしてだろう。南さんに聞くと、改修中のエピソードを話してくれた。

「100年以上前に建てられた当時の木材や建具を使い足しているんですよ。今回の改修も変に奇をてらった意匠はしていません。このまんまがええ、と思ったんです」

南さんが巧みに“このまんま”の良さを活かした上に、小さくスパイスを効かせる人がいる。今ならではの気配りを随所に散りばめるのが、管理人の渡會さんだ。

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大阪の出身で、2012年に吉野町へ地域おこし協力隊として着任。上市まちづくりの会リターンズのメンバーとして、三奇楼の立ち上げから関わってきた。

渡會さんの気配りは、三奇楼には、歴史は受け継ぎつつ、次の時代へ向かっていくような軽妙さがある。

大きな窓から差しこむ日光。町内国栖(くず)で職人がつくった手漉き和紙の障子が和らげる。吉野材を用いた三奇楼の浴室。その洗面台には、吉野材のおがくずを原料としたせっけんがある。また書棚に並ぶ選書は、イラストと文を手がける渡會さんのパーソナリティがうかがえる。

まずは、研修・合宿でお試しを

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最後に、渡會さんから伝えたいことがある。
「まずは企業研修や合宿などで一度宿泊し、現地の空気を味わってほしいです。新しいことを始める時、ペースが合うことが一番大事だと思います。ひょっとしたら、歩みをのんびり思うかもしれません」

サテライトオフィスは、事業者と三奇楼双方にとっての実験。環境が変わることで、気づきがたくさんあると思います。

まずは一度、試してみませんか。

[文] 大越元(おおこし はじめ)

ユニバーサルライター。自分を営む人の仕事紹介「Kii」編集長。奈良市に誕生した10代向けコワーキングスペース「Toi」共同運営人。地元は東京中野区です。日本仕事百貨にて、全国200件の求人に携わったのち、紀伊半島へ。書きっぱなしにならない編集を日々模索しています。http://kii3.com

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